ぱとりっくらうど

中にあるものをことばにする

カルマ

サッカーで海外に留学したとき

英語を習得しようとしたとき

学習塾で室長をやっていたとき

keynoteYouTube始めたとき

生前整理を学び始めたとき

 

全て似ている感覚がある。

これが「カルマ」というものなのかもしれない。

 

何かを取り組んでいる、もしくは置かれている状況で、続けていくと言う選択肢がありながら、何かしらを理由に全て自分から手放している。

 

その度、ワクワクしていたり、鳥肌が立つような、身体の芯からゾーッと込み上げるようなものがあったりしだときもある。

#留学する時なんて特に

 

たが、少しの違和感や何かネガティブな事象があると「これは違うってことか」と解釈をして熱が冷め、次の何かを模索していく。

 

模索中、毎度エネルギーの上下が激しく、お金の問題に直面したり、悶々とした日々を長く送っているのも特徴。

 

そして、毎度「しょうがなく」安定(実際は安定してるわけではないけど)した雇用の仕事をし、「楽」な状況、というより、一旦落ち着けて回復してまた考えようという体勢になっている。

 

毎度同じ繰り返しをしている。

今度もきっと時間が経てば、また新しいワクワクしたものが、目の前に現れるだろう。

 

だが、何も完結させていないし、中途半端な状況で移り変わり、課題を解決というのか、カルマを乗り越えるというのかわからないが、同じことを繰り返してしまっているのだと思う。

 

いま目の前で、迷ったりしているものは、やはり「ライター」「コラム」この辺り。

何か腑に落ちたら動こうと心のどこかでは思っているし、それに気づいていて、きっかけを待っている。

 

このまま行くときっかけ頼りで、腑に落ちず冷めて、次の何かを探す長い悶々期になるんだろうなと思う。

#TVでもYouTubeでも、目の前に出てくる情報が、メッセージ性があるものにしか感じられないほど、書くことについてばかり

 

足りないものに目を向けようとせず、今できることで、ただやりつつ、ちゃんと形にして完結させていくことまでやりきってみて初めて、課題解決、次のフェーズに人生がいくのかなと思った。