ぱとりっくらうど

中にあるものをことばにする

やりたいこと

迷ったら「自分がやりたいと思うこと」を選択するという機会が、この人生で幾度となくあったが、「やりたいこと」というよりは、「よりこう思われたい」という感情を優先していたのかなと思った。

 

・これを選んだなら文句を言われないだろう

・このケースならこっちを選んだことはおかしくないだろう

 

人にどう思われるか

 

本当にここが自分の人生の肝になってしまっている。

ここを手放さない限り、次のステージ(というが別の次元)に移れないのだろうなと感じる。

やることは決まっている

未完了のリストを書き出してみたが、もうほぼやることは決まっている。

あとはやるだけ。という状況だと改めて実感する。

 

これまでの30年以上、幾度となくこの感覚はあったが、後回しにしたり、何か理由をつけて他のことに意識を向けるようなことをしてきた。

 

少しばかり自分に嫌気が差しつつも、ここでやらないとこの先死ぬまでこの繰り返しだという感覚がある。

変わらずして死ぬのは、今世においての使命を果たせず、また次回に持ち越すだけで、ずっとこのカルマで悩み続けることになるだろう。

3日間

3日間、投稿せずだった。

#下書きは書いてたけど

 

特に理由はなく、思考自体は巡っていたものの「書く」という行為になぜか繋げられなかった。

 

筋トレを3ヶ月やっているが、ちょうど水曜日体調不良で1日ずらしたことで、少し狂った感がある。

継続していたものを崩し、それが2日続くと雪崩のように崩れていく。

 

肉体労働の疲れもあるが、同じことを考えている疲労もあり、身体の重さがあり、負のループにハマりかけている。

#朝は起きれるが、二度寝の回数が増えた

 

「いい加減動いてしまえ」という思いになる瞬間もあるが、なんか重い中で判断をすることがマイナスなのではないか?という思考も出てくる。

#ただやらない理由を探しているのかも

メンターに言われたこと

5月、メンターに言われたなかに、

「これとこれが繋がるのか...!」

というのにぶち当たるときがくる。

それまでコツコツ最速で取り組むこと。

 

というのがあったのを思い出した。

#結構大事なはずなのに2ヶ月以上なぜ思い出せなかったんだろう

 

何かと何かが繋がる感覚は今のところまだない。

何かを始めない限り、交わることもないのかもしれないが、いま「言葉に記すこと」で色々気づいたりというのはあるが、もっと色々突き詰めて行ったほうがいいなと思った。

 

その反面、何も繋がらない状況で、

新しいことを初めていいのか?

やって意味があるのか?

成功するのか?

というメンタリティにもなってきている。

言葉の表現力は積み重ねられるのか?

現代のライター、コラムニストたちは、言葉の表現力(いわゆるセンス)は元々備わっているのか?

 

ボキャブラリーだったり、言い回しだったりは、知識として積み重ね行くことができるのは想像できる。

#その知識たちの組み合わせだとか、ベストなタイミングでだったりのセンスって先天的なんじゃないかなーと。

 

また、人々に刺さる文章だったりことばの表現というのは、何か勉強などをして備わっていくのだろうか? (誰にどう響くかわからない。というのはひとまず置いといて)

 

ふと思った。

ジピティーに聞いたら、間違いなく磨いていくことができるとのこと。

 

掘り下げてくことでの恐怖

何かを進めるため、物事を調査するとき、恐怖心が湧いてくる。

知ることで打ちのめされることを恐れているのか、道が閉ざされることに怯えているのか、おそらくその両方だと思うが、ライターを突き進めるため掘り下げて、色々検索をしていくと、見聞が広がっていくワクワク感と、なんとも言えない恐怖感が共存している感じがある。

 

いつもの流れだと、ここで一旦止まって、一喜一憂しなくなり、またモチベが上がってきたところで着手して...の繰り返し。

それでどんどん何事も後ろ倒しになり、それが積み重なって、何もなし得ていない今の自分が作られているんだと実感した。

 

ワクワクの中にも、手放すべき恐怖や乗り越えるべき課題、そういったものがあるんじゃないかと思う。